あいこの感じたこと

大人になった後だって、夢があると楽しい。

こんばんは。いのうえあいこです。
わたしのツイッターのアカウントは、「いのうえあいこ|*夢はみんなのおばあちゃん」となっています。

https://twitter.com/aicoinoue/status/969229132851638272

最近この「夢はみんなのおばあちゃん」ってどういうこと?
と聞かれることが多かったので、ブログにしてみます。

小さい頃から「将来の夢」を聞かれるのが苦手

幼稚園や小学校ではよく、「将来の夢」について聞かれる場面が多いですよね。
「将来の夢」について、作文にしたり、絵を書いたり、文集にしたり。
わたしはこの時間にとても困っていました。
将来の夢が特になかったからです。

ケーキ屋さん?警察官?サッカー選手?アイドル?お医者さん?

みんな色々挙げるけれど特にどれもしっくりこない。
「将来の夢」=「つきたい職業」を答えることを求められていたため、本当に毎回困り、適当に答えていました。

「好き」だけで選んだ大学の専攻

大学受験の段階になり、いよいよ将来のことについて考えなければならない事態に直面しました。

私の夢(=職業)はなんだろう?と考えてみても、まだよく分かりません。
そこで母の鶴の一言。

「マンションや不動産のチラシを見ながらしょっちゅう妄想してるし、
レゴも小さい頃から好きなんだから、
建築学科がいいんじゃない?」

なるほど。それもそうやな。と、建築を専攻することを即決。

結果、大学時代は、建築の勉強がものすごく楽しく、
毎日のように製図室やゼミの研究室に泊まり込み、設計デザインを楽しみながら学びました。

設計課題で模型づくりを後輩に手伝ってもらっているところ。わたし1人に6人のヘルプ。今考えても嬉しい。

好きと興味で選んだサークル活動

また、両親の影響で旅行が大好きで、
中高時代から受けていたキリスト教教育のおかげで貧困問題や隣人愛についても興味があったので、
国際ボランティアサークルに入りました。

長期休みには東南アジアの各国に渡り、ボランティアをする中で現地の方々との交流を楽しみました。
現地の人たちと交流していると
孤児院にいるこどもやスラムに居住するこどもたちに「将来の夢」を聞く場面がありました。
その中で出てきた答えの一例は以下のとおり。

・家族がみんなで元気に暮らすこと

・兵士になって、家族を守りたい

・今、家族が病気なので、医者になって治してあげたい

・自分の妹を学校に行かせるために何でもいいから働きたい

職業、というよりは、生きていくうえで大切なものを守るためにどうするか、という選択の子が多い。
わたしは将来の夢がなかっただけに、家族のために、という選択肢はとても感じるものがあり、
その後もことあるごとにこの子たちの言葉を思い出しました。
日本に興味がある子も多く、その子たちのために、何かできることはないのかな、とぼんやり思うように。

インドネシアのスラム。迎えてくれたのはたくさんの笑顔でした。

就職活動で再びぶち当たる「将来の夢」

すごく充実した大学生活のなか、やってきたのは「就職活動」!!!
建築学生だった私は、設計デザインの勉強はとっても楽しんでいましたが、
そのことと将来の夢=職業はうまくリンクしていませんでした。
そのため、建築学生に与えられたいくつかの選択肢の中から、「しいて言えばこの会社?」
みたいな理由で何社か面接を受け、ダメだったところでぽっきりと心が折れます。

心が折れた後のわたしは、再び設計デザインの勉強とサークル活動に戻り、
楽しい楽しい!を優先してついに卒業します。

卒業後、ニートになったわたしは、突然焦ります。
「あれ、このままじゃやばい!」と。

そこで考えたわたし。
「そういえば、ゼミ活動の中で、まちづくりに関わったのは楽しかったなぁ。
デザイン事務所の人と、行政の人と、大学のゼミで協同してまちづくり活動していたなぁ。」

!!!
公務員になれば、まちづくりに関われるかも!!!
!!!

という単純な考えで、慌てて公務員試験の概要を調べると、
6月に試験!まだ間に合う!

ギリギリで受験に間に合い、気づいたら公務員になっていました。

色とりどりの大人と知り合いワクワクする

公務員になってからの2年間は、大学で専攻していた建築関係の部署。
最初はついていくだけで、必死。新しい知識やコミュニティに慣れていくばかりでした。

わたしのことを気に入ってくださっていた当時の上司が、わたしがまちづくりに関わりたいことを知り、
3年目からはまちづくりの部署に異動になりました。

まちづくり活動の広報でテレビにも出させてもらいました(広島のローカルタレントと。ミーハー)

 

まちづくりの部署で出会ったのは、楽しそうに今を生きている人たち

・たいしたお金にならないお祭りを盛り上げようと尽力しているおじいちゃん。

・自分のお金を使ってまちの新しい仕組みを作ろうとするおじさん。

・まちのことが好きすぎて、自費でたくさんの綺麗な花を植えているおばあちゃん。

・ママ友の困ったを解決するために、行政に新しい仕組みを作ろうと尽力するママさん。

・自分の夢は、まちの公園で近所の人と外国人が交流できるカフェをやることなんだ、と語るパパさん。

一見すると意味の分からないことや、たいしてお金にならないことばかりしている人たちが
目をキラキラさせて、やりたいことを語っているんです。

私の部署にはそんな方々がたくさん相談に来ていました。
そこでわたしは、職業だけが人生のすべてではない、ということに気づきました。
他に職業があっても、やりたいことをやってもいいし、
仕事にならなくても、誰かの笑顔のために、一生懸命作ったものは、その人にとって大切な経験になる。

そして、やりたいことをやってる人がどんなにキラキラしているか、に感動しました。

「将来の夢」=「仕事」でなくていい

そんなまちづくり活動と呼ばれるお金にならない活動を楽しんでしている何人かのみなさんと
ともにまちづくり活動をサポートさせてもらう中で、自分の中にひとつの疑問がでてきました。

わたしのやりたいことってなんだろう?

わたしの夢ってなんだろう?

夢=職業 と信じてきたわたしには、「やりたいこと」「なりたい姿」は何か、という概念がなかったのです。
夢というのは、いい大人になってからでも楽しそうに語っていいんだ。
だって、おじいちゃんにだってなりたい自分の姿がある。

わたしは、、、

わたしは、、、

「大学時代に関わっていた東南アジアの子どもたちに、もう一度会いたい。

できれば人生のサポートが出来るような人間になりたい。

そして、まちづくり活動をする中で気づいた、日本にも生きづらさを感じる子どもたちがいる、という事実。

学校に行くことができない。友達とうまくいかない。家族と一緒にいるのが苦痛。

そういう子どもたちに、なんにもしなくていい、ただいるだけでいいよ、と伝えられる居場所を作りたい。」

そう思うようになりました。

「夢」ができると人生に灯りがともった

わたしが子どもの頃、

ー学校に行きたくない日にぼーっとしたり、

ーお母さんには言えない、自分だけの秘密をきちんと聞いてくれる、

ー宿題や勉強をしなくても、していても、なーんにも言われない、

ー猫とひたすら昼寝をしていても、むしろ喜んでもらえる。

わたしにそんな居場所を与えてくれたのは、おばあちゃんでした。

わたしも、そんな居場所を与えられる人間になりたい。

そういう想いから、「わたしの夢は、みんなのおばあちゃん」になりました。

この夢が明確になったときから、生きることがとても楽しくなりました

しんどいことや、ちょっとナイーブになることがあっても、
将来、子どもたちを受け入れるためにこの体験があるんだ、と思うことで嬉しくなります。

https://twitter.com/bamkerosisters/status/1030418308124663810

始めは口に出すのが恥ずかしかったけれど、
公言していることが、会話のきっかけになったりもします。

みんなのおばあちゃんになるなら、と、友人が面白いおばあちゃんを紹介してくれたりもします。

そう、日々、楽しいし、ワクワクしているのです!!
これまで、両親やおばあちゃんを始めとするたくさんの人たちに
いーーーーっぱいもらってきた、たくさんの「愛」。
もうわたしの中だけでは、どんどん溢れてしまうほどにたくさんもらってきたので、
今度はわたしが、子どもたちに(大人たちにも)みんなのおばあちゃんとなって、
いーーーーっぱいの溢れる愛を注ぎたいーーー!!!と!!!

わたしの回りの大学生たちが、就職活動に悩んでいたり、社会人になることに抵抗があったりするのを見ていると、
お節介なわたしになり、こんなブログを書きたいと思ってしまったのでした。

お読みいただき、ありがとうございました。

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