こんにちは。あいこ(@aicoinoue)です。
わたしは、中高時代を、6年間、広島女学院という中高一貫教育のミッションスクールで育ちました。
31歳という年齢になってみて、
この6年間というものが、いかに自分に影響を及ぼしていたのか、ということを思うので、
今日は女学院に通っていた当時の話をしたいと思います。
広島女学院で学ぶということ=キリスト教の教えに触れるということ
わたしが入学したのは2000年のこと。
その時わたしは12歳で、まだまだ何も分からない子どもでした。
姉が中学受験をしたので、特に何も疑問に思うことなく、
気づけば受験勉強をしており、
そして姉と同じ広島女学院中学に入学しました。
そこでは、キリスト教のプロテスタントの教えに基づき教育がなされており、
毎朝の礼拝、
毎ホームルームでの讃美歌合唱、
週一である「宗教」の授業、
そして年に一回ずつある「キリスト教強調週間」「平和を祈る週」など、
「隣人愛」を大切にする、という精神が日常にかなり色濃く入り込んでいました。
わたしは、いまでもキリスト教徒ではありません。
しかし、
キリスト教の教えには、自分の基礎となる多くの部分を形成してもらったと考えています。
毎日歌い、今でも口ずさむ、讃美歌
ひとつは讃美歌。
中高時代、最も身近にあったものでした。
わたしにとっては、歌うことがとても尊いことで、なおかつ身近になったのは毎朝夕の讃美歌があればこそでした。
毎日くちずさむ讃美歌のうたこそが青春の歌であったと思います。
また、一日に一度でも歌を合唱する、という時間は、今思えばとても心が安らかになる時間でした。
毎年あるクラスごとの讃美歌コンクール(普通の学校で言う合唱コンクール?)では、
各クラス金賞を目指して必死に練習することがとても楽しかったですし、
どう歌えば素敵なメロディになるか?
歌詞はどうか?
など、みんなで話し合ったのがいい思い出です。
キリストの教え「隣人愛」
それから「隣人愛」
この言葉は、その後の人生のどんなときでも自分の中にある言葉のように思います。
隣人を愛せよ。
あなたは隣人を自分のように愛さなければならない。
という聖句から来ている言葉ですが、
この言葉を根本として、
毎年授業そっちのけで開催されていた「キリスト教強調週間」「平和を祈る週」の2週間の間は、
・平和教育を行ったり
・人権学習を行ったり
・宗教の勉強を行った
します。
わたしが印象的なのは、知識として学習するようなしょうもない一週間ではなかったことです。
生の声として当事者の方の話を聞き、対話する時間が設けられていたり、
リアルに感じられる文化を生で観せてくれたり、
自分で考える時間がとても多く取られていたように思います。
どんなことに触れた後でも、必ずそれについて自分がどう思ったか、どう感じたか、を書く時間や話す時間が印象的です。
全てが遠い国で起きているカワイソウな人たちでなく、となりの顔がわかるあの子の話なのだ、と気づく
まさに「隣人」。
色々な社会の出来事が、ほかのどこでもない、わたしたちのすぐ隣で起きている出来事なのだ、
という認識を自然と持てた学習の時間だったと感じます。
そこでわたしは、貧困の国があることを知り、内戦による難民があることを知り、占領下にある国に小さな子供たちがさらされていることを知り、
そして日本にも、自分の気づかないところで、隔離され忘れ去られた病の方がいることを知り、ホームレスが汚く忌むべき存在でなくひとりのかわいいおじいさんであることを知り、たくさんの可愛い動物の命が人の手によって消されていく現状を知ります。
そこに、ひとりひとりの人間が生きている、ということを感じました。
自分がいかに無知であり、
いかに無力であり、
いかにちっぽけな存在であるかを知るのです。
そんななかでも、
自分もまた、ここで生きている人間のひとりなのだ、
と知るのです。
そして、ここで生きるひとりの人間として、
友人である隣人に対してできることを探る
ということを知りました。
全てを見ると大きな出来事でなすすべもなく立ちすくむかもしれない。
でも、顔が見えるひとりになら差し伸べることができる手がある。
まとめ
そういうことを教えてもらった女学院の教育だったと今は思います。
当時はこんなにまとまった考えは出来ていなかったですけどね。
こういう教育が今も続いているといいな、と思います。
もちろん、普通の勉強はそこそこ頑張っていましたよ!!
英語しか使ってはいけない英語の授業は大嫌いで、
女学院の中では英語が出来ない方だったわたしでも、
センター試験で英語もリスニングも満点が取れるくらいには
英語教育もとても盛んなところでした。
今年受験のみなさん、頑張ってください!!!