こんにちは。あいこ(@aicoinoue)です。
3月5日、約10年ぶり、2度目のソルトパヤタス訪問してきました。
前回訪問した際の記事はこちら。
https://oriori1019.com/phillipine-gv
10年ぶりのマニラの都会っぷりに衝撃
わたしが初めて東南アジアに足を踏み入れた大学一年生の時の衝撃が忘れられなくて、また行く、と想い続けていた場所。
フィリピン マニラ郊外にあるゴミ堆積場のあったパヤタス。
その前に、到着したのはマニラの街。
10年ぶりに訪れたマニラの街は、高層ビルが立ち並び、道路にゴミもあまりなくなり、とても都会になったように感じました。
電車は通勤ラッシュで超満員。ここは東京かな?と思うくらい。
道行くひとたちの姿も、日本にいるときと変わらず、
普通に都会。
ふっつうに都会。
むしろ広島という田舎からきました、っていうお上りさんの気持ちに。
前はもっとバイクが多かったし、道端はゴミが散乱していたし、
屋台のような出店もいっぱいあったよね、、、???
と混乱。
パヤタスとは?ごみ山とは?
さて、わたしが訪問したのはパヤタスという街。
ここには「スモーキーマウンテン」と呼ばれた、ごみ山があります。
フィリピンでは法律でゴミの焼却処分は禁止されているので、街中のありとあらゆるゴミがここに集められます。
そのゴミの中から換金可能なモノを拾って生活する人の集落がごみ山周辺に出来ました。
わたしが行ったのはそういうゴミ山で生計を立てていた人たちの生活の場所です。
以下は、わたしが訪問したソルト・パヤタスというNGO団体のHPからの引用です。
ケソン市北東に位置するバランガイ(バランガイ=フィリピンの最小行政単位)。 人口 約119,000人(2010年国家統計局)。パヤタスAとB地区があり、ゴミ処分場があるのはパヤタスB地区。ソルト・パヤタスの活動拠点わかば子どもエンパワメントセンターとLikhaの作業場であるリカ・エンパワメント・センターの二つは、パヤタスB地区のルパンパガコ地区という、ゴミの山の目の前にあります。
2000年にごみ山の崩落事故が起き、世間の注目を浴びて以降、主要道路に沿って水道が引かれ、市場・小学校・ヘルスセンターもあります。多くの政府機関や国内外のNGOの支援が入るようになった現在でも、月収3000ペソ(約6000円)以下の最貧困世帯の割合は依然として25%を超えています。
人口の増加に伴い、スカベンジャー(お金になるごみを拾い換金して生活する人のこと)の割合は以前より減少し、POG(ゴミ処分場を管理統括するケソン市下部組織)からの発表に基づけば、専業・兼業合わせて15%程度です。ソルトが調査を行った地域では30%程度の人々がスカベンジャーでした。他の職種としては、建設作業員・ジープニー運転手・露天商等が一般的ですが、その多くが不安定な一時雇用で、契約のない時にはスカベンジャーとして働いている人もいます。(2009年ソルト調べ)
パヤタスダンプサイトの広さは約30ヘクタールです。1日約520台のトラックを受け入れ、ケソン市から出るゴミ1200トンが運び込まれています。(以上POGより)廃棄物処分場としての政府からの認可がおりた1973年からゴミの投棄が開始され、90年以降ゴミ投棄量が増大しています。メタンガス利用の発電所があり、この計画はフィリピン政府によりクリーン開発メカニズム(CDM)事業として承認を受けています。
パヤタス地区の中でも、ゴミ山の周囲を囲むようにして建つ簡素な家々は、そのゴミ山でゴミを拾うスカベンジャーの家々です。彼らの多くは、フィリピンで最も貧しい貧農貧漁村地帯の出身です。スカベンジャーのダンプサイト入場にはIDが必要で、これはPOG(Payatas Operation Group)という市の運営機関が50ペソで発行しています。パヤタス居住者であることが条件であり、IDがあれば24時間、制限なしで入ることができます。15歳以下の入場は禁止されており、保護者同伴であれば入ることはできますが、スカベンジングはできず、ゴミの番や弁当運びなどが子ども達の役目となります。
(引用:認定特定非営利活動法人ソルト・パヤタスHPより http://www.saltpayatas.com/aboutorg/aboutpayatas )
昨年、ゴミ投棄場のごみ受け入れ許容量を大幅に超えたことを理由にゴミの投棄は終了しました。
投棄が終了しても、投棄されたゴミはそのままそこに存在しているままですし、
スカベンジング(ゴミ拾い)で生計を立てていた人たちは、新たな職を求めて逆に貧窮しているという話も聞きます。
また、フィリピンではゴミを燃やしてはいけない、という法律があるため、ゴミは別の場所に投棄が始まりました。
分別することなく、混ぜこぜにやってくる、ゴミ。
食べかすなどの生ごみ、ペットボトル、トイレのゴミ、壊れた電化製品や家具、なんでもかんでも混ぜこぜの中から、
わたしたち人間が、手で分別を行うのです。中には危険なものもある。
これって普通に考えておかしいと思うんだけどな。
10年ぶりのパヤタス訪問
いよいよ10年ぶりのパヤタス訪問。
事前に、ゴミの投棄が終わったということを聞いていましたし、
マニラの街があまりに発展し都市化していたので、パヤタスも変わったのだろうな、と考えていました。
パヤタスに到着して思ったこと。
パヤタスはというと、わたしが来た時よりとても大きくなったゴミ山には今は土が被せられ植物が植えられて一見ただの丘になっていました。
ところどころに見える地肌には、ゴミが顔を出し、周辺を流れる水は黒く濁り悪臭が漂うけれど。
しかしパヤタスの街並みそこに住む人々の暮らしは、
「10年前となにが変わったのか?」
と疑問に思うくらい、思い描く貧困がそのまま残されているように感じました。
狭くバラックの寄せ集めのような家に肩を寄せ合い暮らす家族。
雨季になると水没する街。
ゴミを拾ってお金に換え、生活するスカベンジャーのひとたち。
ソルト・パヤタスで、識字教育を受ける子の家庭訪問に同行
ある家庭に家庭訪問させてもらいました。
両親と5人のこどもたちが暮らす全部で5畳ほどの小さな家。
両親合わせて日当で1日200~300ペソ(400~600円くらい)以下の暮らしは、
家の外と変わらないように見える土間で寝食し、
水浴びは決して綺麗とは言えない井戸水でトイレの中で行い、
炊事場とは言えないような場所に買ってきた飲用水とお米、コンロがあるだけ。
それでも、以前、ゴミ山へのゴミ投棄があったころと比べると、ゴミの腐敗臭がないだけ暮らしやすいとおっしゃっていました。
両親はこどもたちには頑張って高校まで行って、安定した正規職についてほしいと願い、
こどもには仕事を手伝わさず、学校に行かせているみたいです。それでも学用品が買えないときもあるということでした。
決して余裕があるようには見えず、それでも子供たちは笑顔でお母さんとお話ししたり、
訪問したわたしたちに照れてはにかみ笑いを見せてくれたり。
当たり前、本当に当たり前のことだけれど、
わたしと同じ人間で、感情があって。
毎日必死に生きているのに、この違いはなんだろう、と、改めて疑問が出てきました。
マニラの街があまりにも発展して綺麗になっていただけに、パヤタスの街の変わらない様子が際立ち、あまりにショックでした。
ゴミ山が閉鎖されたから、暮らしが良くなっているかも。
10年たっているから、かなり変わっただろうな。
と勝手に想像していたわたし。愚かだなあって。
ゴミ山に代わる存在、ジャンクショップ
現地では、これまでゴミ収集車はゴミ山にゴミを投棄していましたが、
最近では、ジャンクショップと呼ばれる場所と契約し、
再生可能なものが入っていることが多い、ショッピングモールなどからのゴミをそのジャンクショップに持ち込む業者も出てきているようです。
ジャンクショップでは、持ち込まれたゴミを
スカベンジャーが素手でより分け、
再生可能なものとただのゴミとに分けていました。
その中にはもちろん腐った食べ物なども含まれるため、ジャンクショップはとてつもない腐敗臭でいっぱいでした。
ジャンクショップでの見学はものの5分もなかったと思いますが、
あまりの匂いで今も鼻の中であの臭いがこびりついているような気がするくらいです。
でも、あの場所では、
顔をしかめることも、臭いということもはばかられました。
生きるために、必死でゴミを漁る人たちを前に、
そんなこと、出来なかったからです。
ジャンクショップの管理をするおじさんはニコニコと人が好さそうに笑って、
この場所の色々なことを教えてくれたけれど、
わたしは困ったような変な顔をしていたと思います。
わたしはココに、いったい何をしにきたのだろうと絶望して途方に暮れていたので。
ソルト・パヤタスの取り組みのひとつ、女性エンパワメント事業
そんななか、学用品が満足に買えなかったり、暮らしが豊かでないために学校に子どもを通わすことのできないお母さんたちを支援し、
手に職をもって生きてもらうための事業があります。
それが、女性エンパワメント事業である、アトリエLIKHA。
女性エンパワメント事業とは
ごみ拾いに代わる収入源をみつけ、生活を少しでも安定・向上させたいと願う女性を対象に、クロスステッチ製品の製作、販売を通して、収入の機会を創る活動です。生産者が安全な仕事で安定した収入を得ることはもちろん、生産活動やグループでの運営を通じて、様々な能力や自信を身につけていくことを目的としています。
活動は2000年に始まり、今はLikha(リカ)というグループができ、現地の女性達がいきいきと働く場になっています。
(ソルト・パヤタスHPより引用 http://www.saltpayatas.com/mamaempowermen)
ここでは、お母さんたちにクロステッチという刺繍を学んでもらい、
そしてその刺繍を施したグッズを売ることで収益を得て、自立していくことを目的としています。
現在ここに所属するお母さんたちは15人。
長年やって刺繍のスキルが高レベルに達しているお母さんから、
実は刺繍よりマーケットで販売するときの方が楽しいというお母さん、
几帳面な性格から、糸や布の在庫管理をするお母さんまで、
現地のお母さんが、それぞれ得意なことを生かしつつ、楽しそうに働いていました。
日本での販売と、マニラに住む日本人のお客さんが多く、こういう刺繍をという特注の注文が入ることも多いようです。
ここでのお母さんからの話が印象的でした。
「パヤタスで貧しい家で暮らしていると、
小さい時から、成功することよりも、色々なことをあきらめることを先に学ぶ。
貧しさから、諦めなければならないことがあまりに多かったから、
努力をして、成功する体験をしたことがなかったから、努力が報われるとは思えなかった。
だけど、ここで頑張って刺繍をすると、喜んでくれる、可愛いと褒めてくれる人に出会った。
それにどんなにエンパワーされ、力をもらえるか知った。
もっとみんなで刺繍を頑張って、大きな会社にしたい、という夢ができた。」
と。
小さなことでも、成功体験を少しずつ重ねることってとても大事で、
それはもちろん、パヤタスの人に限らず、どんな人にも当てはまることだと思います。
努力して、何度か失敗しても、小さなことでも達成するという体験。
誰かに褒められるとやっぱり嬉しいし、もっと頑張ろうって思える。
これまで、ごはんを食べるためだけに働いていた方からすると、
仕事にこういう喜びのあるポイントはなかったことと思います。
だからこそ、こういう成功体験を重ねることって本当に大切で活力になるんだなあって感じましたし、
こここそに、生活を向上させていくヒントがあるのかなって思いました。
これからのこと
10年間、寄付だけじゃなく、もっと関わることができたんじゃないかなって悔しい気持ちにもなりかけましたが、
今回訪問して本当に良かったです。
これから、自分の力で、出来ることをやっていかなきゃと思うことができたから。
まずは、わたしの周りの人に伝えたい。と思ったし、
ソルトの皆さんにも、出来ることから、やってほしい。出来ることなら周りの人に伝えてほしいって言ってもらいました。
そのひとつめとして、ブログを書いてみました。
わたしの想いを聞いて、何か感じたなら教えてほしい。
10年前にスカベンジャーの方から言われた、
「ビジターは考えるだけで、何もしてくれない」
という言葉は、今もあたまをぐるぐるしています。
何も出来ないのに、物見雄山的にスタディツアーに行くことも賛否両論あることも知っています。
でも、皮膚を通して感じたこと
現地で見れたから感じられたこと
夫と一緒に訪問出来たからこそ感じられたこと
まだまだたくさんあります。
これから二人でやっていく、いろんなことに還元していきます。
この気持ちを忘れないように、という意味でもブログをいくつか投稿しようと思います。
長くなりましたが、読んでくださり、ありがとうございました。