広島市西区にある、ゲストハウス縁で働いているタメ(@tame_en)です。
この間働いてるときに、ある人から「タメは真面目過ぎるところがあるよのぅ」と言われ、少しイラっとした出来事がありました。笑
それが自分の特徴というか個性なのに、悪いように言われたからです。
恐らく別に伝えたいことがあったはずですが、すぐには聞きたくありませんでした。
以前は自分の真面目な部分が好きではなかったので、ちょっとコンプレックス的に思っていました。
真面目って、堅くて面白くないイメージがあったからです。
今は受け入れているつもりですが、それでも悪く言われるとちょっと腹が立ちました。笑
些細なことでしたが、それをきっかけにコンプレックスについて振り返ってみようという気になってきました。
恐らく人それぞれが持っているものだと思いますが、そこに蓋をするか受け入れるかで生き方が随分変わるのではないかと思います。
認めてあげることで、自分にも人にも優しくなり、生きやすくなるのではないかと考えています。
小2から高3までサッカーをしていたのですが、、、
11年間ずっと辞めたかった
今思えば、11年間サッカーをしていたのです。
それ以前にも、ぼくの親は様々な習い事をさせてくれていたのですが、どれも全く続かなかったです。
そのため、小2でサッカー部に入ろうと友人に誘われて入ったのですが、親はすぐ辞めるだろうと考えていたそうです。
如何せんサッカーが下手だったので、11年間ぼずっと辞めたいと思っていました。笑
でも辞めるタイミングを逃したり、友人が続けていたので、何とか続けることができました。
これはぼくの誇りです。
なぜなら、小学校時代ぼくより上手い人は何人もいましたが、高校まで続けた人は半数以下だし、何より下手なのにそんだけ続けてすごくない?!という自分にしかない感覚があるからです。笑
足が遅いのが最初の気づき
小学生のときって、50メートル走しますよね?
ぼくはサッカーをしていたにもかかわらず(運動してる人は大抵速いと思われがち)9秒台後半だったと思います。
小6の最後らへんに9秒前半になった気もしますが、当時一番早かったやつは7秒台でした。
いかに遅いかが分かります。
しかも忘れられないのが、小4か5くらいのときの授業での50メートル走。
一緒に走った女の子に負けたのです。
遅いのはどうにもならないですが、まじで逃げ出したかったですね。笑
ぼくの小5・6年のときの担任の先生でもあるのですが、当時のサッカーの監督がすごくいい先生で。
1か月に1回、リフティング大会というのがあり、その成績次第で試合のメンバーに選ばれるかどうかが決まるというシステムを取っていました。
どれだけドリブルがうまくても、その成績がよくないと代表には入れないし、逆に言うと下手でもリフティングを練習して上達すれば代表に入れる仕組みです。
更に、前月よりも一定の成績アップをした者に対しては☆マークが付けられ(☆が付いてどうなるかは忘れましたが笑)下手でもモチベーションアップにつながります。
今思うとかなり画期的なアイデア満載のシステムであり、素敵な教育方法ですよね!
周りではなく自分と比べることの大切さを、小学生のときにすでに教えてもらっていたのです。
まあそれでも当時一番大事なのは足の速さやサッカーの技術です。
下級生にもあっさり抜かれる劣等感を抱きながらも、中学生になっても友人とのつながりで引き続きサッカーを続けることになります。
成長期の中学時代
小学生のときと比べて、中学のときのチームはまだ新しく、人数もギリギリ。
1学年上の代は2人しかおらず、小学生の頃に比べるとトップの試合にもたくさん出してもらった気がします。
それに加え、成長期に入り50メートル走が7秒台になるまで成長しました。
当時は走るメニューが多く、まじめな性格のぼくはたぶん誰よりも妥協することが少なかったと思います。
もちろん、対外試合のときには差をしっかり感じたし、試合に出させてもらってはいるが「何回ボール触ったっけ?」ということも少なくありませんでした。
ですが体力もつき、小学生のころに比べると自信がついた3年間でした。
長かった、レベルの違いを感じた高校時代
ぼくの母校はサッカー部より野球部の方が有名で、そんなに厳しいところではないと勝手に想像していました。
ですが実際に入ると、まず先輩方の体の大きさに驚き、スピード、テクニック、パワー全てに圧倒されました。
そして同級生も、サッカーをするために入ってきたようなやつらが何人かいました。
間違えた、と思いました。笑
ですがもうあと戻りはできない、辞めるという選択肢はありませんでした。
途中で辞めるのが惨めみたいで嫌だったんだと思います。
この3年間は、今までの中で最もしんどい期間になりました。
中学時代が井の中の蛙というか、速くなったはずの足も、再び遅い部類に逆戻り。
下級生が入ると、もうトップチームに上がれる気がしなくなりました。
1個下の代がぼくより全員上手かったのです。
本気でそう思っていました。
何度かトップで出たこともあったのですが、そのための条件は「同じポジションのやつが3人くらい同時にケガをする」こと!笑
これはプロの世界だったら戦力外通告だな、とか、ケガして休めないかな、とかいつも考えていました。
かなり卑屈になっていました。
当時から、相手は自分の中にあるとか、自分の能力を向上させることに重きを置こうなどとポジティブに考えられればよかったですが、まだ子供です、周りとの差に対する劣等感でそんな考えには至りませんでした。
小学生時代に教わったことも、この時点ではとても振り返られる余裕はありません。
今思い出すと、周りなど気にせず自分の能力向上のために努力すればよかったという後悔の気持ちがあります。
根底にあるのは承認欲求か
小中高と周りとの差を相当感じる環境にいて、実力主義の社会の底辺を11年間くらいいたということになろうかと思います。
そのため、周りの友人や指導者に認められていると感じたことが非常に少なかったと思います。
今でもサッカーを趣味程度で楽しみたい気持ちはすごくあるのですが、小中高時代の友人以外とはあまりやりたくありません。
最近はあまり気にならなくなりつつありますが、下手なことがバレるのが嫌なのです。笑
思えば、学生時代のアルバイトや現職に入ったばかりのころのモチベーションは、「周りの人に認めてもらうこと」でした。
なぜそこがモチベーションになったのかは、サッカーをしていたころの感情が原因となっていたことが今振り返ると分かります。
今でも周囲に対してそういった気持ちはあるし、それが分かっただけでも自分を知るという意味ではよかったと感じています。
色々あるコンプレックスを振り返るつもりだったのに、、、
みんなそれぞれコンプレックスを抱えて生きていると思います。
ぼくも例にもれずたくさんのそれを持っていて、いくつか振り返るつもりでしたが、サッカーが下手ということだけで長くなってしまいました。笑
たぶん、それだけ代表的なものだったのだと思います。
自分持ちつつも、やはり周りに認められたいとも
昔は周りの反応や顔色を窺ってばかりで、本来の自分なんてなかったと思います。
ですが、大人になり今では周りがどう言おうが自分がやりたいことをやる!という気持ちはあります。
そしてそれに対して応援し合える人たちも、周りにはいると思います。
ですが周りは関係ないと言っても、ぼくは100%関係ないとは言い切れません。
正直言って、周りの人に認めてもらいたいという気持ちはあります。
ただ子どもの頃に比べると、その比率は変わったと思います。
周りの評価を過剰に気にし過ぎたら何もできませんからね(^^;
「周りなんか気にしない」と本心から言える人は本当にすごいと思うし、ぼくもそうなりたいと思い暗示をかけたこともあります。
ですが根底にあることをある程度整理できた今は、逆に「承認欲求」があることも自分で認めた上で自分の道を進みたいと考えています。
肝心なのは過剰になり過ぎないことで、それをモチベーションにするのもある意味自分らしいかもしれません。
これが、コンプレックスを通して自分の行動を振り返った際に感じた、大切にしたいことです。