ための感じたこと

かんぽ生命のニュースで、自分が最初に入った会社のことを思い出しました!

最近取り上げられているニュースと言えばジャニーさん関連ですが、今回色々と感じたのは「かんぽ生命保険の不正販売問題」です。

ニュースでパッと見ただけなのですが、二重契約や無保険状態にさせられていたことが問題となっているとのことでした。

そしてその根源のひとつとして取り上げられている、現実離れしたノルマが販売員へ課せられていたという報道が特に気になりました。

このニュースを観て、昔ぼくがサラリーマンをしていたときのことを思い出し、何とも言えない複雑な気持ちになりました(^^;

そのとき経験したことを書こうか考えていたときもあったのですが、そういう世界が今もあることが分かったので、当時の自分はなぜそんなところに入ってしまったのか、振り返りながら考えたいと思います。

会社ってこんな感じ?

ぼくは大学を卒業してから、事務機器・通信機器などの営業会社に入りました。

内定をもらった当時、その会社の本社は香川県でした。

ですが内定式か何かのときに、大阪の会社と合併して社名も変更になり、自身が入る会社の規模が中四国から中四国大阪北陸に変わっていました

すごい変わりようですよね!笑

そしてぼくは入社1週間前の3月末に、突然採用担当の方から電話が入りました。

「広島配属の予定だったのですが、高松に行ってもらいたいのですが、、、」という内容でした。

1週間前のことでとても驚いたし広島を出ることは考えてなかったのですが、そんなこと言われても「はい、頑張ります」としか言いようがないです。

それに元々本社だったところへの配属だったので、期待されて声がかかったのかなと、割と素直に捉えていました。

香川行ったおかげでうどん好きになったなー。

怒られまくる合宿

入社してはじめの何日間か、中四国と関西辺りの新入社員(確か70名くらい)が集まって、合宿が行われました。

70名もいるのは、法人営業に加え、個人への営業や某携帯ショップも複数あったからです。

詳しい内容は忘れてしまったのですが、とにかく怒鳴られる、大声出さされる、体育会系と言えば聞こえはいいかもしれませんが、とにかく根性叩きのめされる感じ。

社訓を叫んだりとか長距離走らされたりとか。

合宿の途中で誰かがネットの掲示板か何かを見たのか、「この合宿は何しても絶対怒られるような仕組みになっているらしい。洗脳するために!」と言っていました。笑

そのとき、自分が入った会社が、知る人ぞ知る「光通信」という会社の関連会社だということが分かりました。

そんなこと、実際に入らないと分からなかったです。

なぜ分かったかというと、社訓が全く一緒だったからです。

そういえば合宿中の理不尽さに耐えられず何人か帰ってしまいました。

その後どうなったんでしょうね、、、

周りの環境めっちゃ大事!

合宿は70名が5~6人の班に分けられるのですが、最終日にすごいことが待っていました。

数日間色々ありながらも頑張ってきたメンバー一人ひとりに対し、ダメだったところとよかったところを全力で言うというプログラム。笑

体育館のようなところで、班のメンバーと向かい合います。

まずB’zの何だったか忘れてしまったのですが、曲が爆音で流れます。

会話をしようと思ったら、耳元で言わないといけないくらいの爆音です。

そこで班の一人ずつと向かい合い、相手の肩を持って、合宿中で感じた不満や直したらいいと思ったことを伝えます。

その後平井堅の「瞳をとじて」がまた爆音で流れ、今度は相手のよかったことを全力で伝えます。

そうして合宿は終わっていきました。笑

 

合宿後は職種毎に分かれて座学研修。

実際に働かれている人たちの隣の部屋で研修が行われたのですが、隣から聞こえてきたのは怒号。

めっちゃナーバスになりながら研修が終了しました。

いざ現場へ!

営業会社だったのですが、その方法は主にテレアポでした。

朝から晩までとにかく電話をかけまくりました。

ぼくにとってラッキー?だったのは、自分が配属された部署に同期が計5人もいたことです。

普通は1~3人だと思います。

隣の部署にも同期がいたのですがひとりだけ、そいつは確か3日で来なくなりました。

一人だと気軽に話せる相手がいないし、先輩も怒鳴られているのでそもそも雰囲気自体がよくなかったです。

もし自分があそこだったら、、、

 

その後も色々と驚くことがありました。

広島の同職種の部署が、もしかしたら5月末で閉鎖されるということです。

広島に配属された同期が確か2人くらいいたのですが、そいつら含め部署全員(5~6人かな)で相当の高い売上を出さなければ閉鎖、ということでした。

一般社員でもなかなか届かない数字だったので、現実的に考えて達成できるわけありません。

実際にその部署は閉じ、同期のひとりはそんなことがあったので、たったの2か月で退職してしまいました。

そのしわ寄せはぼくがいた部署にも来ていて、○○ポイント売上なければ異動!というもの。

新卒で入ったので他の会社と比べられないのですが、それでもおかしいなと思うことが多々ありましたし、サラリーマンって控えめに行って死ぬほどきついんだなとほんとに感じていました。

毎日こんな感じで帰宅。大変なことはどの世界にもあると思うけど、、、

挨拶は「おす」でした。

おはようございます と おつかれさまです の略ということでみんな「おす」と言っていました。

たまに上司に「お疲れ様です」というと「おい、おすだろ」って言われることもありました。笑

実力主義ということで、ぼくみたいに成績をあげられなければ短期間で去るというのが大抵の流れですが、逆に成績をあげることができればすぐに手当がもらえるし昇給もできます。

実際ぼくの同期のひとりは、3~4か月でサブマネージャーに昇進しました。

それはその同期の実力のがあったからですが、あがったらあがったでプレッシャーも違うし、この間まで先輩だった年上の社員が急に部下になるやりにくさなどを話していました。

営業職って戦士ですか?

他に印象的だったのは、新卒で入ったぼくたちの職種は1か月に1回研修で高松に集まっていたのですが、5,6,7月と集まるごとに半分ずつくらい人数が減っていきました。

ぼくは8月頭まで会社にいましたが、滞在した期間は長いほうに入ります。笑

 

また営業目標は、ノルマとして会社から課せられるものではなく、自分自身で決めます。

そうは言っても「これくらいやれよ」という暗黙の了解みたいなものがあるので、実質決めさせられているような感じ。

あと営業に出る時は基本的に即受注することを求められるのですが、できなかったときには上司から電話で「もう一回お客さんのとこに行け!受注してくるまで絶対帰ってくるな!」って言われたこともありました。

仲のいい同期がいてほんとによかったです。

それでもそのときにいた先輩から話を聞くと、その昔はもっとひどかったそうです。

街中で社訓叫ばされたり、テレアポのときにアポが取れるまで座ってはいけない(ぼくも何度かやりました)とか。

ブラック企業っていう言い方について

いつからか「ブラック企業」という言い方が定着していきましたが、ぼくはあまりその言葉を気軽に使いたくないのです。

なぜなら、本当に過酷な環境なのでそんな簡単にニックネーム的な呼び方しないで、って思うからです。笑

度合も様々だと思いますし、ブラックと呼ばれる企業や業種も調べれば調べるほど出てきそうだと感じました。

ですがいくらブラックと分かっていてもそこにいる間はそれが日常だし、すぐに環境を好転させるのは不可能に近いと思います。

すぐ辞めればいいじゃん、っていう意見もほんとにごもっともかもしれませんが、多くの日本人は「頑張ってみる」のではないでしょうか

実際ぼくも辞める前は、新卒で入ったのにたったの数か月で辞めることを想像したとき、それが受け入れられず、もうちょっと頑張ろう、もうちょっと頑張ろう、という気持ちでした。

当時住んでいたアパートに住み着いていた野良猫。こいつを見るのが楽しみだったことを、この画像にて思い出す。笑

結局は自分次第ということで。

7年くらい前のことなので忘れていることもありますし、言い出せば本当にキリがないですし、今その会社がどうなっているのかは全く知りません。

今回昔を振り返るために当時の会社のことをネットで見てみたのですが、同じようなことを書いている人は本当にたくさんいました。

ネットは不特定多数の人が書いているし事実とは異なることも多い印象ですが、嘘ばかりでもないです。

例えばこの方は、たくさんの事実を書かれていました。笑

逆に営業が天職と思ってその世界でバリバリ稼いでいる人たちがいることも知っています。

ぼくは営業会社はこういうもの、と思っているので苦手意識しかありませんが。笑

今回のかんぽ生命のニュースで内情が報道されましたが、こんな感じのきつい営業は他にもたくさんあると思います。

この会社にその先も残っていたら、間違いなく病気になるところでした。

 

営業するって、何のために営業するのかもっと考えた方がいいと思うし、そんな使い捨て体質のところが今もあるのは心が痛みます。

ぼくは、ここを辞めた後「なぜこんなことになってしまったのか」とよく考えたのですが、会社が悪いというよりも「そんな会社を選んだ自分が悪かった」ということにしました。

で、このような会社に入ってしまった原因として「本当に自分がやりたいことが分からなかったから」と一旦結論付けました。

新卒で就活も人並みにやっていましたし最終面接にも何度か行きました。

でも結局受かったのがここだけだったのですが、その原因は「本当に自分がやりたいことが分からなかったから」だと。

正解かどうかは全く分かりませんでしたが、そんな結論を自分で付けたから「これからはやりたいことをやっていこう!」と決心し、カンボジアへ行くことにしたのです。

だいぶ端折りますが、そして今に至ります。

営業をしていた当時の上司に「お前このままの成績じゃあ10年後にスクランブル交差点ですれ違ったときに、おれの顔絶対見られないよ」と言われたことがありました。

要はお前逃げずにやれ、ということですが、入社4か月でそこを抜け出しその後自分なりに向き合ってきたからこそ、今はやりたいことに進むことができています。

なのでスクランブル交差点ですれ違っても堂々としていられます!笑

 

そこを退職してすぐは同期とも連絡を取り合っていましたが、県外の人が多く今は誰がどこで何をしているのかほとんど分かりません。

そのためなかなか難しいですが、いつか当時の同期とあの時のことを振り返ってみたいです。

結局あの場所、そしてあの経験は何だったん?ということを。笑

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