ための感じたこと

【孤児院】マザーテレサの施設で子ども達と戯れる|カンボジアでの活動

チョムリアップスオー。

(カンボジア語でこんにちは)

広島市西区にある、ゲストハウス縁で働いているタメ(@tame_en)です。

ぼくは今まで2回カンボジアに行ったことがあるのですが、初めて行った時の活動が貴重な経験となり今に繋がっています。

なぜカンボジアを選んだのか

先日の記事の最後にも少し書いたのですが、大学時代のイタリアへの卒業旅行の帰りの飛行機の中、人生で最も海外熱が高まっている時にたまたま観た、向井理主演の映画「僕たちは世界を変えることができない」に大変感動したからです。

その結果、次に海外に行く機会があれば自然とカンボジアだな、と思うようになっていました。

その想いを秘めたまま社会人になりましたが、3年経ったときに仕事を辞め、今自分がやりたいことを一つずつやっていこうと思い、まずはカンボジア行きを決意しました。

カンボジアでの活動は、子どもたちと遊ぶこと

首都プノンペンで3週間、アンコールワットがある街・シェムリアップで1週間の、計4週間滞在をしました。

観光のためだけではなく、日常は2つの活動を軸にして過ごしました。

ひとつは、現地の日本語学校の先生アシスタント、そしてもうひとつが、孤児院でのシスターのお手伝いです。

今回は、孤児院での活動について紹介します。

こちらが、ぼくが通っていた孤児院。塀が高め。

朝の9時から11時くらいまでの間、木曜日と日曜日を覗く週5日間通っていました。

初日には、よろしくお願いします的なことで、子ども達のために使えるもの(ミルクやオムツなどの消耗品、ココナッツなども!)を持っていきます。

ボランティアが参加できるのは、基本的に9時から11時まで、もしくは15時から17時まででした。

ここに住んでいるこどもたちは、一番小さい子で4ヶ月、大きい子で4歳までで、14人いました。

ここで過ごせるのは5歳まで、という決まりがあるとのことでした。

ここにいる理由は様々で、両親がいない子もいましたし、いるけどお金がなくて育てられない、そんな子たちです。

やることは、食事補助、シャワーを浴びた後に服を着せてること、掃除などがありました。

そうでないときは、ひたすら子どもたちと遊ぶ!

子どもたちは、毎日世界各国のお兄さんお姉さん(=ボランティア)を見ているので、人には慣れているように感じました。

おもちゃは小さなジャングルジムがあったりゴーカート的なものがあったりと、割と充実していました。

ボランティアの人で、シャボン玉を持ってきている人もいました。

全員可愛かった!子どもたちと毎日のように会っていると、次第に覚えてくれているような感じがしてすごく懐いてくれていたので、気づけば通うことが本当に楽しみになっていました

シスターとの出会い

お世話になったのが、日頃から子どもたちのお世話をしているシスターたちです。

彼女たちは世界各国から来ていて、コミュニケーションのやり取りは基本英語でした。

ボランティアは子どもたちと遊ぶこと、と言いましたが、それも基本はシスターのお手伝いということなんですよね。

そのため、手が空いたらなるべくシスターに声をかけ、何か手伝えることある?と聞くよう心がけていました。

そうすることによって、例え英語が喋れなくても、その姿勢を見てぼくの存在に安心してもらえたと思っています。

 

そんな中、毎日英語が喋られないぼくに気さくに話しかけてくれるシスターがいたのですが、あまり理解できなかったりうまく答えられなかったりと、申し訳ない気持ちになることがありました。

カンボジア滞在中、他にも何度か英語が必要な場面に遭遇し、次第に「英語が話せるようになりたい、勉強したい」と思うようになりました。

それらがきっかけとなり、次は英語を勉強しよう!そしてシスターと話せるようになろう!ということが次の目標になりました。

2年越しで、再び訪れる

その後、オーストラリア・メルボルンにワーキングホリデーとして約8ヶ月間滞在しました。

ワーホリ中に迷ったり悩んだりした時、支えになった考えのひとつは「カンボジアで出会ったシスターと話してみたい」ということでした。

そのため帰国を考え始めた頃、もう一度カンボジアに寄ってあのときの孤児院に行ってみようかな?と思うようになり、日本への帰国前にカンボジアを経由することを決めました。

前回行ったときには全く英語が話せなかったので、単純に自分がどれだけ成長できたのかを測ることもできると思いました。

結果から言うと、やはりホテルやレストランでのやり取りなどは全然違いました。

自慢するほどではないですが、最低限レベルはできているかなと。笑

そして、最大の目的であったプノンペンの孤児院。

滞在日数は3日間くらいでしたが、前回同様ミルクやオムツ、ウェットティッシュなどを持って孤児院へ。

まだあのシスターはいるのかな?緊張の時でした。

ベルを鳴らすと、初めに出てきたシスターはぼくの知らない方でしたが、以前来たことがあることを伝えると、中に入れてくれました。

以前と同じように、2階には子どもたちのベッドが、そして3階にいくと子どもたちがたくさんいてすでに色々なところから泣き声笑い声が響いていました。

その中にひとりシスターがいて、パッと目があった瞬間、以前のあのときと同じシスターだということが一瞬で分かりました。

向こうも、ぼくの顔を見た瞬間「どっかで見たことある顔だな、確か、日本人の?」

と言われました。

とてもとても嬉しくて、「あなたと話がしたかった。だけどあのときぼくは全然英語が喋られなくて、だから英語を勉強するためにオーストラリアに行っていました。今はその帰りです。」というようなことを伝えました。

とりあえず思いの丈を伝えると、子どもたちがたくさんいる中で涙が止まりませんでした。笑

シスターと再開でき、そしてコミュニケーションを取ることができて、実際に行くまではどうしようか迷っていましたが、行くことにして本当に良かったです。

一生忘れない出会いのひとつ。

そして、また行く

節目節目でやっぱり自分の原点はカンボジアにあるんだなと感じ、これからも繋がっていたいしもっと活動を広げたいなと思っています。

ブログを始めたのも、そういった自分の想いを整理・確認することや自分以外の人にも知ってもらい、色々な意見をもらい成長することが目的のひとつだと思っています。

来年(2019年)の2月くらいに、妻と新婚旅行に行く予定にしています。

行き先は、フィリピンとカンボジア。

ただリゾート地に行くだけじゃなくて、村や現地で活動されている日本人の方々にも会いに行くつもりです。

そこからまた新たな繋がりができたり、自分自身や夫婦間での今後のビジョンをより濃くできればと思っています。

次は英語だけではなくやはり現地語が必要だという思いから、めっちゃ少しずつではありますが、クメール語の習得を目指します。笑

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